2015年8月12日水曜日

終戦の日に(アイランドシテイと零戦)

他の公民館においてはこの時期戦争体験の講座を地域の方にお話しいただく講座等が開かれております。照葉は戦争当時海の中で、そういった講座は開けません。しかしながら、この地区においても太平洋戦争の跡がありました。公民館ブログではありますが、私の体験を交えて皆さんにも知っていただきたいので以下に書かせていただきました。


今から15年以上も前のお話です。私は当時香椎浜に住んでおり、海岸通り(今のバス通り)を散歩しておりました。朝の人通りの少ない時間帯でした。すると1台の車が停まり、中からにこやかなご夫婦が降りてこられました。結婚式にでも行くのかと思うような正装で、地図を片手に持って、私に道を尋ねてこられました。「ここに行きたいのですが…」「え。」その場所は箱崎埠頭の突端でした。こんな格好でなぜそんな場所に行くのかわかりませんでしたが、道を教えました。ご夫婦が車に乗り込む際、後部座席に目を向けると高齢の方がやはり正装で乗っておられました。ただ鋭い眼光が印象に残っていました。そして車が動き出し、ナンバープレートを見ると「島根…」。他県から来られた方でした。なおさらなぜそんなところに行くのかわからなくなりましたが、聞くことができぬままになってしまいました。

その日の夕方。私は何気なくテレビのニュースを見ていました。その時です。朝のにこやかなご夫婦、後部座席の高齢の男性がテレビに現れました。
しかも涙を流されながら…。私は訳が分からずそのニュースを凝視しました。

ニュースの内容は以下のような内容でした。
人工島《アイランドシテイ》建設工事中の博多湾から零戦が発見された。
その中にはし箱が残っていた。そのはし箱に書かれていた名前からW少尉だとわかった。W少尉は博多湾に不時着し、救助されたがすぐに特攻で出撃し、亡くなられた。

そして、私がお会いした3名の方々はW少尉のご遺族のかたでした。眼光のするどい高齢の方は弟さんで、兄を思い、泣きじゃくっておられました。
今現在、どうしておられるかわかりませんが、私があの日、3名のご遺族の方にお会いしたのはこのことを伝えるためではないかと今では思っています。

その時引き上げられた零戦は修復され、現存する世界唯一の九七式戦闘機として町立大刀洗平和記念館に展示してあります。            

                        照葉公民館 中山貴史

0 件のコメント:

コメントを投稿